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大槻ケンジ;グミ・チョコレート・パイン

大槻ケンジ著の小説「グミ・チョコレート・パイン」は「グミ編」「チョコ編」「パイン編」の三部作となっている。表紙の江口寿史の絵に昭和の香りがします。

さえない主人公大橋賢三の同級生で、片思いの相手、山口美甘子が自分の渡世感を語って言うんです。「あたしはね、人生ってグミ・チョコレート・パインだと思うの」
それが、この小説のタイトル。

高校生の甘くて酸っぱい時代の自己愛たっぷりで、自分のいる世界に鬱蒼としていて、なんだか体がむず痒いような、そんな世代を描いています。

グミ編は、高校生の大橋賢三の青さとヒロインの眩しさが対比されています。どう転んでもイタイタしい主人公の言動のせいで、話に感情移入するよりも、主人公がいつか知恵熱を出すんじゃないかと心配しちゃって母性本能をくすぐられる始末。そもそもこの手の話を読むには年を取り過ぎたよね。

チョコ編は、ヒロイン山口美甘子が女優として羽ばたき、大橋賢三が周回遅れを意識してもがく物語。コドモからオトナになる間の、頭でっかち状態から現実に踏み出す瞬間がこの小説の価値であるなら、この真ん中のチョコ編が「グミ・チョコレート・パイン」の真髄です。
著者自らが言っているけど、これはスターウォーズの「帝国の逆襲」なのです。

パイン編でも大橋賢三のダメっぷりは加速しっぱなしです。
もう、あえて何も書きません。

ちなみにタイトル「グミ・チョコレート・パイン」は、誰もが子供の頃にやったであろうジャンケンポンの遊びのこと。夕暮れ、勝った手で決まる一歩一歩を数えながら、時には置いてけぼりをくらいながら、帰った記憶を思い出す。グーなら「グリコ」、チョキなら「チヨコレイト」、パーなら「パイナツプル」だ。地方によってルールが違うのかもしれないが、少なくとも私の場合は、グーは「グリコ」で、パーは「パイナツプル」でした。

ついでに、昨年12月に公開されたケラリーノ・サンドロヴィッチ監督で映像化されたものも観た。前半はテンポが良くて小説より楽しめるが、痛々しさも増幅されています。

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